”奈良少年刑務所”改装前最後の一般公開へ/前編 [奈良・旅行]
※2017年7月19日の記事
明治政府が全国に建設した”五大監獄”のうち、
(千葉・金沢・奈良・長崎・鹿児島)
唯一現存していた「奈良少年刑務所」は今年の3月をもち閉鎖。
今後はリノベーションされホテルでの活用が計画されているそうで、
その最後の姿が先週日曜日に一般公開されました。
という事でこれを逃すともう今の姿は見れないかも知れないので、
近鉄奈良駅からバスに乗って向かうことに
(奈良少年刑務所に駐車場はなし)
この公開イベントに際して奈良交通も臨時直通バスを走らせていますが、
もうすでにバス停には暑いなか長蛇の列
まさかこんなに人気イベントだとは思いもよらず・・・
しかし臨時バスが何本もピストンされスイスイと行列は消化され、
驚くことに10分も待たずに乗車成功。
あとはクーラーの効いたバスで、
奈良少年刑務所に一番近い”般若寺”のバス停までノンストップです
渋滞もあり約30分ほどかかってバスを降り、
人の流れにそって歩くと目的地「奈良少年刑務所」に到着
まぁバス停から薄々気づいていましたがここも長蛇の列
出るのが難しい刑務所ですがこの日は入るのも容易ではありません!
では塀沿いに列の最後尾に並ぼうと思い歩きますが、
全~然その最後尾が見えてこない・・・
そしてひ塀だけでは物足らず併設するグラウンドにまで行列
最後尾のプラカードを持った係の人に聞くと、
約1時間ほどかかるかも?と気の遠くなりそうな回答をいただきます。
USJのアトラクション並みの行列に、
頭の中では悪魔と天使の葛藤が始まります!
悪魔「涼しくところでかき氷でも食べようや~」
天使「最後の公開やから見ないと公開するよ~」
・・・・・・・・・・・・・・
腹を決めて猛暑のなか最後尾に並びます
カバンに入っていたお茶はもうすでに温かくなって、
飲む気しませんが水分補給だけは欠かしてはいけないと我慢。
(何度も途中で帰ろうとすると天使が囁きます)
そして1時間後~
リタイアすることなくやっとの思いでいよいよ塀の中へ
重厚で立派な「庁舎」がお出迎え。
1908年(明治41年)に明治政府が建てたもので、
ジャズピアニストの山下洋輔氏の祖父・山下啓次郎氏が建築。
間近に見ると”監獄”の名に相応しい威圧感をビンビン感じます
真っ直ぐ進んだ先には「中央看守所」と呼ばれる場所。
(人が多くて撮影出来ず)
そこからは放射線状に広がる第一寮から第五寮を一望でき、
1階から2階まで隅々まで看守の眼が行き届く構造となっています。
「奈良少年刑務所」は第一寮から第四寮までが単独室で、
第五寮だけが3人部屋の共同室。
この日の1階はそのうち第三寮だけを公開
分厚い木製の扉で一番下の扉は柵もガラスもなく、
いわゆる”くさい飯”を入れる小窓かな?
映画などでは何度も見たりしますが、
今年の3月まで実際に使われていたと思うと生々しさを感じます。
そして中の様子はトイレと洗面台がポツンとあり、
もっと狭いかと思っていましたが布団が悠々とひける広さ。
天井も高く窓からの光もよく入り、
思っていたような薄暗い印象はほとんどありません。
しかしながらドアにはご覧の通り厳重なカギが掛けられ、
収監されているという状況を感じずにはいられません。
ここをどのようにホテルにリノベーションするのか今から楽しみですね
ご覧のように通路部分の天井は2階も見える構造。
では階段で2階へと参りましょう~
階段には白線が引かれていますがこれをはみ出すと怒られるのかな?
2階は空いていたので「中央看守所」の撮影に無事成功
ご覧のように第一寮から第五寮まで一望はもちろん、
その下1階まで厳しい看守の眼が行き届きます。
ではこちらの2階では第五寮が公開され単独室の第三寮と比べると広めですが、
布団を3つ並べるといっぱいになるくらいの室内。
過剰収容期には4~5人の受刑者を収容したこともあるそうです。
トイレは複数の受刑者が生活するので区画がされていますが、
これはトイレ臭を抑えるためだそうです。
もちろんオシュレットなどはなく”和式”の便器。
ここも天井が高く窓からの光がよく入る構造で薄暗い印象は受けません。
この収監所がホテルになった時どうなるのか楽しみにして、
次は併設する受刑者の訓練所を見て回りますが、
その模様は次回ブログ後篇にてお送りします
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